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ポチと呼ばれた漢 ~三文文士倶楽部のこと~ [色々]

昨年の秋、ポチと呼ばれた漢(おとこ)が、この世を去った。

ポチさん(1歳だけ歳上なので「さん」付け)は、私が所属した同人誌の会員であった。
その会の名称は、「三文文士倶楽部」といい、当時、たくさんの同人誌が立ち上がった中の一つで、マンガは注目を集めたとのことだが、まあ、全国的には無名だったといっていいと思う。
本部は、兵庫県 太子町(相生市、姫路市の近く)のあたり。

この会は、主にSF(Science Fiction)やポエムの創作物を投稿するメンバーによって成立していた。
特に規制のようなものは聞いたことがなく、ぼんやりとした(まったりとした)活動範囲を持った会だった。


この同人誌の会に、(とっても、とっても)若い頃に参加して、今も、当時の幾人とは連絡を取り合っていたので、ポチさんについての連絡が入り、自分が住んでいる伊丹市付近にいるもうひとりのK氏にも連絡をとって、最後のお顔を拝見しに相生まで行ってきた。


三文文士倶楽部発行の同人誌は、渠成(きょせい)といった。
高校生時代から活動を始めたと聞いた覚えがあるので、命名は先生かな。
渠成、とは、高尚な会誌名である。

コトバンクより
https://kotobank.jp/word/%E6%B0%B4%E5%88%B0%E3%82%8A%E3%81%A6%E6%B8%A0%E6%88%90%E3%82%8B-390627
水到りて渠成る
みずいたりてきょなる【水到りて渠成る】
〔范成大「送二劉唐卿戸曹擢レ第西帰一」より〕
水が流れると自然に溝ができるように、条件が整えば、物事はおのずとできあがる。基礎を積んでいけば、成就すること。


渠成 創刊準備号 総合文芸誌
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渠成 Vol.1 創作同人誌
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渠成 Vol.2 総合文芸誌
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渠成 Vol.3 総合文芸誌
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渠成 Vol.4
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渠成 Vol.5
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渠成 Vol.6 (2019年1月21日追加)
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渠成 Vol.7 (2019年1月21日追加)
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渠成 Vol.8
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渠成 Vol.9
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渠成内のマンガ
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渠成は、Vol.9が最後になったようだ。
私が参加したのは、いつからだったかなあ?


きりきりマガジン
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きりきりマガジン Vol.2
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途中から、「きりきりマガジン」に変わった、あるいは、スピンオフかな、それについては、何やら、本部でいろいろとあったらしい。
その場にいなかったので詳細不明。

同人誌の表紙は、自分も何回か描いている。


三文文士倶楽部では、毎月、会報誌も発行していた。
今も持っているが、今回は割愛する。
定年の歳を過ぎたら、ゆっくりと見直しますかね。
若さがにじみ出ている内容だよねえ、きっと。




~三文文士倶楽部と私~
元々、私は、高知県の出身だが、なぜ、兵庫県の同人誌に参加することになったのか、この際だから述べておく。
当時、、、
当時といってもどのくらい前なのかわからないね。

そもそも.......
自分が小学生高学年の頃、宇宙戦艦ヤマトというアニメが放映された。
このアニメ、後になって知ったのだが、1年間の放送予定が半年に減るというようなことが起こるくらい、視聴率が低いアニメだった。
ところが、である。
このアニメに夢中になった少年・少女たちがいたのである。
こういうのに夢中になるのは全体数から見たら少ないのだろうが、そのパワーはすごかったのだ(ろう)。

放映終了後も、草の根運動が続き人気が衰えず、ついに、映画になった。
ただ、この、宇宙戦艦ヤマトの映画は、単に、TV放送のダイジェスト版であったので、映画単体としてみれば決してよくできたものではなかったのだが。

だが、映画になったというムーブメントの影響は大きかった。
この頃にアニメ雑誌が多数、刊行された。
今も残っているのは、アニメージュかな。
アニメ雑誌は一度も買ったことないけど。

小学生から中学生や高校生になった頃、同人誌というものが流行りだしていた。。
そうなるとその系統の雑誌では、投書欄に同人誌の参加募集の投稿が掲載されるようになった。
ついに、募集専用のコーナーが作られたくらいだ。
紙面での募集なので、連絡先の住所・氏名もバッチリ書かれていた。
個人情報とかいう言葉も無い。
ガラケーも存在せず、連絡方法は、電話か手紙なので、同人誌に参加したい人は手紙を書いて参加するか、近くであれば電話して会う、という流れだ。
会費もあって、口座振込だったか。

どういう訳か、自分は、ある月のSFマガジンという雑誌(今も発行されているSFの大御所月刊誌)に掲載されていた「三文文士倶楽部」という同人誌に連絡を取った。
どうして、ここにしたのか、覚えていない。
なんとなく、こういうのに参加したくなり、高知には適当なのが無かったから、西日本の地域から感で選んだのじゃないかな。
そういうことなので、三文文士倶楽部の地方会員というのが私の立場だった。

今の同人誌は、インターネットが発達したこともあるんだろうが、巨大なコミケというイベントが開催されるが(そういうのには一度も行ったことがない)、当時もコミケはあった。
ただ、地方も含めて小さな会場を予約して、創作した同人誌を売るという活動だった。
上で紹介した「渠成」や「きりきりマガジン」もコミケに出していたと聞く。

渠成の初期の時代、オタクという言葉も存在していなかったことも書いておく。
オタクという言葉を初めて聞いたのは、確か、90年になる頃で、コミケ会場でお互いに、お宅、と言い合うようになったことからこの手のマニア達をオタクと呼ぶようになった、と、当時、聞いた覚えがある。
実際に、「お宅」と呼び合っていたそうだ。

ガンダム(これまた、低視聴率だったのが面白い。放送終了後に元祖ガンプラが300円で出て量産ザクを探してプラモデル屋を歩き回ったのを思い出す。シャアザクばかりだったのだ。)の放映が終わり、世の中は、インターネットの前の段階の高速通信(ISDN)とか言ったり、駅などに、キャプテンシステムが設置されていた時代だ。キャプテンシステム、って言葉を覚えている人は少ないかなあ。
学術研究も含め、日本が独自仕様のPHSを開発し始めようとしており(後に、事業として道を踏み誤ったが)、一方のケイタイも車に設置する肩掛けタイプが出た後、急激に小型化が進んだ。


大学は、関西でもない北国に行ったが、社会人になった時に関西に来たので、今も「三文文士」のメンバーの幾人とは連絡が取れている。
昨年末、久しぶりに姫路市で忘年会があった。
実は、この縁で、今の嫁さん(同人誌とは関係ないが)と結婚したりしている。
縁とは、不思議なものだ。
あの時、「三文文士倶楽部」に参加しようと思わなければ、その後の人生も大きく変わっていたのだろう。





少し、バイクのネタ
ポチさんは、バイク乗りでもあった。
XLX250Rの一つ前に出たXL250Rを所持しており、走り出したら帰ってこないことがあるようなさすらい人だったそうだ。
自分もXLX250Rを持って関西に来たが、一緒にツーリングしたことは一度も無かった。
お互いに社会人になり、忙しくなったからね。
ポチさんのXL250Rは、体を壊した後にバイク屋に引き取られていったそうだ。


ところで、なぜ、ポチと呼ばれたのか?
その理由は今も知らない........
きっと、可愛かったからだろう。
個人的には怖い方だと思っていたが......

合唱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


追記(2019年1月21日)
メンバーより、渠成のVol.6とVol.7の提供があったので追加した。
ポチと呼ばれた理由だが、メンバーからの情報によると、バイク用グローブの日焼け跡が犬の足踏みのようになっており、手の甲に肉球のような日焼けがあったから、とのこと。
ただ、自分もバイクに乗るが、どうやったらグローブの日焼け跡が肉球のようになるのか不思議だ。
グローブが破れていたのだろうか?


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あけましておめでとうございます [色々]

本年もよろしくお願いいたします

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大江山からの写真を使いました。

https://kaaru-ni-kaaran-zeyo.blog.so-net.ne.jp/2018-11-04
大江山から雲海を見る(鬼嶽稲荷神社)早朝ツーリング~V-Strom650XT~
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